宇宙となかよし(bu)

「宇宙となかよし」のバックアップブログです。 http://katamich.exblog.jp/

福岡沖地震 2005.3.20

 連休の二日目。午前は家でゆっくりして、午後から会社に行く予定でした。午前10時50分頃、突然鈍い音が響き、家が横に揺れ始めました。私は座椅子に座ってパソコンを触っている時でした。とても大きな揺れで瞬間的に「地震だ!」と感じましたが、冷静でした。意識せずして「般若心経」が口をついて出始め、半分くらい唱えたところで揺れが止まりました。

 私が経験した中で最も大きな揺れでした。しかし、部屋の被害といえば、CDが3枚程度落ちただけで、ほとんど無傷でした。すぐにテレビをつけましたが、地震情報が始まったのはその5分後。震源地が結構近くなのでちょっと安心しました。もしも遠くであの揺れだったら、近くの人は大きな被害にあっていると思いましたので。

 震度6、マグニチュード7という北部九州では300年以来の大地震でしたが、騒いでいるほどには被害も少なく、とりあえず一安心というところ。

 地震が来たことは事実です。でもこれだけの被害で済んだことは本当に感謝すべきだと思います。福岡や佐賀の人は長年大きな地震にあったことがないため、この辺りで気を引き締めるいい機会だと思っています。大惨事を経験せずに、ある種の「気づき」を得ることができたのです。

 我々はここで本当に「感謝の心」を呼び起こすべきです。本当にありがとうございました。

 と、ここで話が終わるわけではありません。実は今日は、「地下鉄サリン事件」から10年目の日でした。今日の夜、所用でスピリチュアルメンターと会っていました。その方は阪神大震災の90分前に意味不明の阿鼻叫喚で起こされ、地震までの間胸騒ぎと闘っていた人です。

 その方にお得意の「フーチ」で今回の地震の意味を見てもらいました。今回は自然災害ではなく、「人的災害」の可能性が強いとのこと。近年、年間を通して「特定の日」に何かが起こっています。代表的なのが1.17。阪神大震災、ロス地震、湾岸戦争前の多国籍軍の空爆、そしてイラク戦争。9.11についてはもしかしたら今年辺りなにかあるかもしれません。

 「人的災害」の話ですが、実は今ある技術を以ってすると地震を引き起こすことなど簡単なのだそうです。ユダヤ、ロックフェラー財団などがその鍵を握っていると聞いたことがありますが、私はよくわかりません。しかし、今後、ある「特定の日」を辿ってみると、いろんなことがわかってくるかもしれません。

 今回の「福岡沖地震」については、単なる自然災害ではなく、何ものかがある意図をもって引き起こした可能性もゼロではないかもしれません。一説によると、阪神大震災、新潟中越地震などもそのような意図をもって引き起こされたと言う人もいます。そして最後は、、、関東大震災??。これまでの一連の地震はそれに向けた予兆、宣告である可能性もゼロではないかもしれません。順番から行くと、次は愛知周辺中部地方かもしれません。私の知る超能力を持っている人たちは皆、「20年後には東京はない(崩壊して存在しない)」と言っています。

 何もかもがわからないことばかりですが、我々の預かり知らぬところで既にストーリーが決まっている可能性もゼロではありません。最近、私の周りにはそのようなことを予知する人が増えてきました。「そんな馬鹿なことってあるかい!」という人が大多数でしょうが、可能性としてはゼロではありません。

 ともかく、今回の福岡沖地震については「奇跡的」に被害が少なかったと言えます。ちょっと間違えば、新潟地震や阪神大震災のような大惨劇に発展する可能性もあったのです。のん気にブログなど書いている場合ではなかったかもしれません。私は明日も仕事をすることでしょうが、一歩間違えば、体育館に非難しているかもしれなかったのです。
 
 そんなことも含めて、今回の地震については、ある種の「感謝」の念を持ちながら、激動するこの世の中を冷静に見ていきたいと思います。


私信:ガードのかいちゃんへ。いつも読んでくれてありがとう。地震は無事でしたか。お互い就職活動も頑張りましょう。

(耳鼻科やヤマハ、丸善など普段からお世話になっている福ビルが・・・)
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  1. 2005/03/20(日) 16:06:58|
  2. 未分類

部分と全体 2005.3.19

 先ずはこれを聞いてみて下さい。新しいドラえもんの声です。どうですか。「思ったより違和感なかった」という人もいるようですが、私としては「違和感ありあり!」です。トラウマになりそうな声です。私が子どもだったら「泣く」に匹敵する声です。う〜ん。。。

 話は変わりますが、昨日の日記はちょっと長く、また内容も固かったので読み飛ばした人も多いことでしょう。しかし、アクセスはいつも通りありました(開くのと読むのは違いますが)。それでも、きちんと読んで下さり、なおかつ示唆的なコメントをして頂いた人もいます。新潟で事業をされている「宮さん」です。この方とはネット上で知り合ったのですが、感性がとても通じる、魂が響きあう方です。私がホームページを始めてよかったな、と思うのは、遠くにながらもこのような素晴らしい感覚の持ち主と知り合うことができることです。

 そこでコメントのままにしていてはもったいない内容ですので、ここで返信に代えたいと思います(昨日の日記のコメントからそのまま転用しています)。

(ここから)
 新しいスタート切られんですね!おめでとうございます。大いなる共感を持って読ませていただきました。

 私も以前肝臓をやられ死の宣告を受けたのですが、自然食品店を始めるに際して、東洋的な発想・情報を受け入れ始めていたころでしたので、入院せず、自分を病人扱いせず、絶食からはじめ、玄米粥と大根おろしのスープとヤンノー(塩味の汁粉)などで回復したという経験をしました。
 その時の西洋医学を学んできた総合病院の先生との手に汗握るやり取りはまさに命がけでした。(以降、陰陽・マクロビオティックなどを本格的に学びました。)

 私はどちらかというと文系なのですが、もう何年も前になりますが、書店で偶然手にした「タオ自然学」フリッチョフ・カプラ著、量子物理学の先端分野と仏教は実は同じものを見ているのでは・・という着想から執筆された本で、当然西欧科学の中では物議をかもしたそうです。

 その本から学んだのは、「部分は全体である」という視点です。西欧近代科学の祖はそれこそ写真にもあるように「デカルト」なのでしょうが、彼は「方法序説」の中で、神からの独立を目指していました。宇宙は目に見えないものと目に見えるものとで成り立っている、見えない世界はまだ神の領域かもしれないが、とりあえず我々人間は、目に見える世界、測定できる世界を研究しよう!でもその思想の根幹は「部分は部分」だから人間も自然もばらばらにして各部を分析的に研究してそれを総合すれば研究対象は理解できる、という発想です。この発想が20世紀まで延々続いてきたのでしょうね。

 総合病院なのに総合課は見当たらない。(西洋・東洋両方の視点を含んだ上での患者の扱い)
「どうせ、俺なんか会社の歯車さ!」
「自分ひとりが、いまさら何をやっても社会は変わらない」
「誰も見ていなければ何をやってもかまわない」
 こんな思いの背景には「部分は部分」という近代合理主義・個人主義のにおいがしま す。全体と繋がっていない孤独な自分!

 しかし、「部分は全体」という視点は私にとってはまさにターニング・ピントでした。大げさに言えば「私が社会そのものである」「私が宇宙そのものである」宇宙に責任を取る生き方!

 私は、マザー・テレサ、宮崎駿などにそれを感じます(他にもたくさんそれを体現した生き方をされている人間はもちろんいっぱいいますが・・・)

 マザー・テレサは下手な政治家のように大向こうをうならせようとする底の浅いスピーチやパフォーマンスをしたわけではなく、ご存知のように、目の前の行き倒れた人をその人の所属する宗教に沿って介護し、見取る、淡々と地味にその活動を続けただけです。それなのに全世界に共感を呼び(呼ばなくてもかまわないのですが・・)ともに歩きたいというシスターが増え、援助しようとする人達が増えていく・・最後はノーベル平和賞・・(それが目的では、もちろんありませんが・・)

 宮崎駿、どこかのインタビューを見てしびれたのですが、映画の製作動機が、友人夫婦に小さい女の子がいる、その子に喜んでもらいたくて!
 でも結果的に大勢の人の心をつかんだものになりました。こんなところに「部分は全体」の事例を見てとっております。そして自分の進む道、前例のない道なき道を歩む勇気をいただきました。
 
 自灯明、心を静かに澄ませ、魂を羅針盤として進んでおられるQさんもまたその一員なんだなーと心からそう思います。
 
 人生を深く味わいたいものですね、お互いに!
(ここまで)

 ありがとうございます。これに対するコメントの必要がないほどに、素晴らしい文章であると思います。私が漠然と感じていたことを、「言葉」にして頂いたようです。

「部分は全体である」
「私は社会そのものである」
「私は宇宙そのものである」

 日本社会は、欧米における個人主義と比較して、「集団主義」や「全体主義」であるように考えられています。しかしそれは、自らが所属する会社や組織においての話であり、「社会全体」や「宇宙」に生きる「私」として「全体」を感じてはいません。人は「会社」においては徹底的に従属し、会社にそむくことは人生を台無しにすることだと考えられてきました(少なくとも20世紀後半は)。その一方で、会社という組織は談合や各種の不祥事に見られるように、「社会」にそむく行為を繰り返し、また、産業廃棄物の排出など「宇宙」にそむく行為を繰り返してきました。つまりは、「会社」の言うことさえ聞いていれば個人の行き方が完結でき、社会に対する有り方が正当化できていた一方、それ以上のことについては全く感心を払うことがありませんでした。

 しかし、昨今は、その「会社」という「求心力」が薄くなり、個人が投げ出された時に行き場を失い、ややもすると「中高年の自殺者3万人」という結果につながってしまうのです。しかし、日本人は本来、地域の、土地の神様を奉り、自然と一体となって生きてきました。その意味で、本来的な意味での「全体主義(←右翼的な意味ではなく、社会や宇宙の一員としての全体を意味する)」が人々の心にあったと思われます。しかしながら、近代合理的な意味での集団、つまり最も効率的に経済を発展させる媒体である「会社」や「組織」が日本経済に導入されることによって、本来的な意味での「全体主義」が、経済合理的な意味での「会社主義」に取って代わられてしまったのです。

 今の日本は「会社」という求心力が弱くなった結果、一説では欧米的な「個人主義」がますます様相を呈してくると論じられています。しかし、私はそうは思いません。欧米的な意味での「個人主義」とはキリスト教的世界観、つまり「個人」と「神」とが対置している背景においてなし得るものです。日本はそもそも農耕民族であり、その土地の神様や自然の力によって生かされているというマインドがあります。なので、会社から投げ出された個人は、欧米的な意味での「個人主義」に移行するのではなく、土地や自然を大切にする、日本特有の自然信仰、土地の神様や自然を通して全体とつながるという考えに移行するものだと思います。いや、すべきだと思います。

 先日話に出した「一億円プレイヤー」をはじめ、会社の経営者などは、会社に従属していない分、神社やお寺、精神的な世界に拠り所を求めるものです。それは狭義の意味での「宗教」ではなく、社会や自然、宇宙の一員としての思想に基づいているものなのです。

 話がずい分それてしまいましたが、今までの日本社会は「部分A(個人)は部分B(会社)」であり、決して「部分(個人)は全体(社会・宇宙)」ではありませんでした。しかし、経済社会環境が激変する中で、日本もどうやら本来的な意味での「部分は全体」の重要さに気付いている人が多くなってきたように思います。それは単に神社に手を合わせればよいという訳ではなく、宇宙の一員として、宇宙の法則に則りながら生きようとすることに他なりません。そのような生き方によって、人や財、幸せは自然と集まってくるものです。

 話を元に戻すと、身体を健康成さしめるためには、問題部位を部分的に対処するのではなく、身体全体を考えた上での健康が重要です。それと同様に、個人が幸せでいられるためには、個人や会社・組織のことばかりを考えるのではなく、全体(社会や宇宙)のことを考え、全体とつながっている、まさしく「部分は全体」「私は社会」「私は宇宙」という考えに基づき、生きていくことが重要なのです。

 結局昨日と同じような内容になってしまいましたが、健康においても、経済においても、生活全般においても、「部分は部分」と言う考えから「部分は全体」という考えに移行すべき時期がまさに到来していると思われます。時代は変化しています。

 そんなところで、宮さん、コメントありがとうございました。
  1. 2005/03/19(土) 16:06:29|
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資本主義の次 2005.3.18

 仕事が一日一日終わりに近づいています。年度末は毎年忙しいのですが、今年の忙しさはちょっと普通でなく、さらに精神的にも辛い部分があります。こういう状況で退職するというのは、表面的に見ると「逃げ」と取られるかもしれませんが、私自身も、そして身近な友人からも「もう充分だ」という見解を示してもらっています。

 うちの会社だけでなく、業界全体が疲弊しており、業界に対する社会のニーズは減る一方で客先の要求は大きくなります。なので、給料が年々減りながら、仕事量だけは増え、そうなると社員が減り、さらに受注が落ち込み給料が減り仕事が増える…、という完全なるデフレスパイラルに陥ってしまいます。このような状況に対しては、剥がれ落ちたところをコンクリートで穴埋めするといった「延命治療」では埒が明きません。メタファー(比喩)で言うと、西洋医学では限界があるのです(つまり、部分部分を対処的に治療していくやり方。抗生物質の投与によって副作用で他の部位がやられるなど)。会社の蘇生においても、東洋医学の手法、つまり、ナチュラルな方法で全体を治すといった観点が必要になると思います。

 では、会社の蘇生における東洋医学的手法とは何か。やはり、社員一人一人の潜在能力を引き出していくこと基本となります。そのためには、「楽しい」を仕事の第一におき、そして何が起ころうとも「ツイてる」とか「ありがとう」とかいう波動の高い言葉を会社内で充満させることです。

 そんなことしたって会社がよくなるものかい、、、と訝しく思う人もいるでしょうが、基本的に金がかかる問題でもないし、考え方一つなので、やって損はないはずです。しかし、多くの企業は、リストラや給与カットなど目の前の対処療法に終始してしまいます。そうなると、ため息や罵詈雑言が増え、社内の空気、場のエネルギー(波動)が低くなるばかりとなります。つまり、リストラ(抗生物質)の投与によって、ため息(副作用)が生じ、全体として業績(健康)が悪化していくものです。

 やはり、今の時代は人間の身体(健康)についても、会社という組織(経済)についても、特定部位の治療に特化した対処療法ではなく、身体や組織の全体を視野に入れ、根本から気長に治すといった療法が必要なのだと思います。仮に末期癌などで医師から見放されたような患者の場合、抗生物質やモルヒネの類を投与して無為に延命させるくらいなら、ダメ元でも食べるのを控え(不食)、クラスターの小さな天然の水だけを飲ませるとか、生薬や薬草に切り替えるとか、「笑い」を積極的に取り入れるとか、または、レイキや気孔などに頼っている方がよほど良いと思います。

 会社においても、リストラや給与カット、過労を押し付けながら少しでも長く会社を永らえようとするくらいなら、「ありがとう運動」をしたり、コーチングを取り入れたり、「笑い」の職場づくりを進めるなど、社員の心と気持ちの面からマネージメントする方がよほど良いと思います。

 会社については、私自身も社内で「ツイてる」を連発したり、変なことばかり言って笑わせていましたが、どうも「手足」には限界があるようです。ここはやはり「脳」や「心臓」にあたる会社の中枢である社長や事務所長がそのようなマインドを持つべきだと思います。

 実際の話を言うと、福岡県の地場企業で最も法人税を支払っている会社などは、そこの社員に言わせると、まさしく、波動の高い言葉で会社を包み、社員一人ひとりがとても元気にやりがいを感じながらやっているようです。ちなみに、江本勝さんの「水の結晶」の写真を社内に貼っているそうです。そこにはやはりトップの理解と強い意志が感じられます。

 20世紀は近代合理的な手法、身体で言えば西洋医学、経済で言えば資本主義によって、生命や技術、経済を飛躍的に発展させ、一定の成果を出しましたが、21世紀は、西洋医学や資本主義の限界が露呈し、新しいパラダイム、手法が不可欠となってきています。とりわけ、身体については東洋医学の理念や手法がより重要になってくるとともに、会社(経済)については、資本主義に代る新たなパラダイムが必要だと考えられます(当然、社会主義ではありません)。それは何か、、、一言では到底言えませんし、それに移行するにはもう少し時間をかけて人々の意識を変えていくことが重要です。

 しかし、そう言うからにはその糸口を述べておく必要があります。これから書くことはおそらく国民の1%にしか理解できないと思います。もっともこのブログを毎日読めるような方だと、2割(30〜40人)は理解を示してくれると思います。世の中を変えるには国民の2割が変われば変わると言われています。「百匹目の猿現象」のように、ある一定の人が理解すれば世の中が変わります。

※百匹目の猿:宮崎県の幸島の猿が、芋を水で洗ったり、海水で洗うと美味しくなるということを発見し、それがその島の猿の間で広がり、周辺を含めて一定の数に達すると、北海道の猿までもが海水で芋を洗うようになったという話。つまり、何事も全体の中である一定に達すると、全体が変わるといった現象。

 資本主義の次のパラダイムを述べる前に、私自身の体験をお話しておきたいと思います。この体験は小さなことのようですが、私の考え方に大きく影響を与えています。私は、5年程前、大学院を退学し、フリーターのようなことをしている時、知り合いが施設長をしている老人ホームで一ヶ月ほどボランティアをしました(始めて一ヶ月で就職しましたので)。ある日、ホームの利用者(要介護度4~5の老人)の車いすを押してショッピングに出かけました。ショッピングモールを利用者と一緒に、施設の職員、ボランティアが周り、買物をしたり食事をしたりします。私もあるおばあちゃんの車いすを押していたのですが、その方は老齢に加えて半身不随の障害を抱えています。身体が片側しか動かないので、話をすることもままなりません。一通りモールを周り、帰りの時間が近づいた頃です。おばあちゃんが行きたいところがあると言い、最後に連れて行ったところが「まんじゅう屋」でした。おばあちゃんは身体が不自由なので、私は言われるがままに、財布からお金を取り出しまんじゅうを買いました。結構な数でした。どうしてこんなにたくさん買うんだろう、、、と思いましたが、そのおばあちゃんは「いつも世話になっている人たちにあげたい」と言うのです。私にも2つ取れと言います。しかし、ボランティアの身で、しかも決して余裕があるわけでもないおばあちゃんから「もらう」ことに躊躇し、最終的にもらわずに帰ってしまいました。帰るとき、そのおばあちゃんはものすごく悲しそうな顔をしており、その顔が実は5年経った今でも鮮明に思い出されます。

 今になって考えたのですが、実は人の本当の喜びとは「与える行為」にあるのではないかと。今の世の中は、物でもお金でも「得る」という行為とそのエネルギーによって支えられ、経済システム、資本主義が成り立っています。誰もが「得よう」とすることで、確かに技術は発展し、生活レベルも上がってきました。しかし、「心」はどうでしょうか。他人を投げ倒すこと、弱いものから金品を取り上げることが続き、逆に荒んできているのではないでしょうか。よく言われるように、物質的には充足したけれども、精神の面がおろそかになってしまっている状況です。

 私のブログの名前は途中から「宇宙となかよし」に変わりましたが、これは「宇宙の法則」を知り、「宇宙の生き方」を実践しようという意志の現れによります。思うに、「宇宙の法則」の根本とは「与える」ことにあるのではないでしょうか。宇宙は我々人間に対して何一つ「得よう」としません。そもそも、我々が持っているものは宇宙はすべて持っていますので。宇宙は我々に光を与え、空気を与え、水を与え、火を与え、大地を与え、、、すべてを与えてくれています。その宇宙の恩恵によって我々は生きている、いや、生かされているのです。

 つまり、「与える」という行為は「宇宙の生き方」そのものであり、「与える」ことは人間にとっての究極の喜びでなのではないでしょうか。先ほどの老人ホームの話ですが、私がついたおばあちゃんは、ショッピングモールでは、いなり寿司と巻き寿司を3~4個食べ、下着類を2枚ほど買っただけで、他はすべて「まんじゅう」にあてました。年齢を重ね「得る」という行為に興味を示さなくなったおばあちゃんは、「与える」ことで人間本来の「喜び」を見出そうとしたのです。しかし、私はまんじゅうを受け取りませんでした。無為な気遣いのために。。。
 
 そもそも、「得る」も「与える」も回転の方向が違うだけで、そこで流れる財は一定です。しかし回転の方向が違います。資本主義とは誰もが「得る」というエネルギーによって展開してきました。そこで、資本主義に変わるシステムとは「与える」というエネルギーによって成り立つものだと思われます。「得る」も「与える」もシステム全体に流れる財(フロー)は一定ですが、システムの構成員たる、人々の心が違います。「得る」によって物質的に豊かになっても心は荒んできました。しかし、「与える」によって人々には真の喜びが芽生え、物質と心の両面で社会が発展していくと思われます。

 「与える」とは「宇宙の法則」です。私の守護仏である「文殊菩薩」をはじめ、宇宙及びその体現者である「釈迦」の行き方を実践してきた「菩薩」の宿命は「求めず与える」ことです。菩薩行とはそういうものだそうです。つまり、宇宙に近いレベルの人々、釈迦や諸菩薩は「与える」という行いを真剣にしてきたのに対し、その下のレベルの進むにつれて、どこからか「得る」が中心になってしまったのでしょう。

 資本主義に代わる新しいシステムに移行するには、「与える」ことに本当の価値を見出せる人が増えること、そう、国民の2割の人が「与える」価値を知ることで成し得ると思われます。そういう時代がまさに近づいているように思われます。

 私は今の会社を辞めることになりましたが、非常に懸命な選択であったと思います。不遜な言い方ですが、新しい社会を作っていくパイオニアとしては、旧態依然のシステムの「手足」となっていてはいけません。新しい社会の「頭」となっていくべきです。「宇宙の意志」は私という人間を旧態依然のシステムから引き離そうとして、会社の中で様々な要因を作ってきたのかもしれません。

 「21日行を通してとりあえず、お前の考えはわかった。先ずは今の会社を辞めて、次のステージに進むがよい。そこで真に宇宙の行き方を実践できるか図ってみるが良い。」、と言っている気がしています。3月14日の神がかり的な展開による辞意表明は、まさしく「宇宙の意志」を感じさせてなりません。
 
 会社を辞めるということで、以上のような考えがまとまりました。「与える」ということをいかにシステム化し、それを多くの人(2割りの人)にわかってもらえるか。それがこのブログの一つの使命であるようの思っています。「5,000円の寄付によってその当日に5,000円の図書券が送られてきた」とか、「翌月には5万円の臨終収入が入った」とか、「トイレ掃除をすると臨時収入が入る」とか、これまでもブログで書いてきましたが、これから先はもっともっと、そういうことが増えてくると思われます。現実、このブログを書くという「与える」行為によって、私には多くの友達と理解者が増えてきました。「与える」ということがどれだけすごい行為なのか、このブログを通してもっともっと発表していきたいと思います。

 会社を辞めるという人生の大きな転機に、世の中の大きな動きを肌で実感する毎日です。


(近代の祖)
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  1. 2005/03/18(金) 16:06:06|
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ブログ書いてて冥利に尽きる 2005.3.17

 今日は久々の雨でした。花粉の飛び散りが少なくってよかったです。さて、今日も一日デスクワークでした。私の辞職騒動以来、福岡事務所はおろか全社的にも激動が走っているようです。辞職するとはいえ他人事では済ませられません。何もかもがベストの方向に流れるよう祈るばかりです。
 
 ところで、近頃、ブログを読んで頂いている方々からよくメールを頂きます。頂くメールはすべて好意的なメールで、とても嬉しいものです(女性が圧倒的に多いですが)。また、当然、身近な人も読んでくれていて、「面白いね〜」と言われ嬉しくなります。
 
 一方、感想を述べていただくだけでなく、「かなり影響されている」という人も結構いらっしゃいます。例えば、「便所の蓋をしめれば、お金が残る」とか「寄付をすると、それ以上の臨時収入が入る」など、ちょっと迷信めいた話なども素直に信じ実行されている方、最近の話では神社を見つけると、思わず立ち寄って手を合わせてしまうようになった、などという方もいます。

 でも究極は、やはり、「ツイてる」にはじまる波動の高い言葉(言霊)でしょう。「すいません」ではなく「ありがとう」と言うとか、五日市剛さんの話のように、「難が有ったらありがとう、良いことがあれば感謝します」とか日常的に言うとかです。私の身近にいる人はご承知のとおり、最近の私は、本当に口癖のように「ツイてる」とか「俺は運がいい」と言いまくっています。そして本当に運がよくなっています。

 実は昨日、親と30分くらい話をしました。(以下、大阪弁のイントネーションでお願いします)
母:あんた、仕事辞めてほんま大丈夫なんか?
私:あたりまえやんけ。ちゃんと次もあるし、そもそも俺には支援者がいっぱいおるねん!。何と言っても、俺は運がええさかいな(←親と話をする時はめっちゃ大阪弁です)
母:あんた、そんなん言うたら足すくわれるで。
私:運がええ、って言うてるだけやのになんで足すくわれるねん!。ため息ばかりついてるよりよっぽどマシじゃ!!
母:それはそうやけど、心配してんねん。
私:しょうもない縁つけんでええちゅうねん!。心配されたら逆に「ツキ」が落ちるちゅうねん!!
母:そうですか。えらいすんまへんなあ。わし等もあんたの言うことちゃんときいてんねんで。便所の蓋も閉めてるしな。
私:それはあたりまえのことや!

 まあ、こんな会話が30分ばかり続くのです。もちろんちゃんとした話もしてるのですが、ああやって心配したがるのも親の特性なんでしょうね。

 話がそれましたが、最近、私の影響で「ツイてる」と言いまくったり、私の親のように便所の蓋を閉めるようになったり(ついでに話はそれますが、私のツレはA型的で四隅をきちんと揃えないと気がすまない几帳面な性格なのに、なぜか「歯磨き粉の蓋」だけは閉め忘れることがあります。私は閉め忘れませんのに。不思議です。)、その他にも考え方の面でずい分前向きになっている人などたくさんいます。まあ、ブログがなくって、私が口だけで言ってもそれほど効果はないでしょうが。

 そうやって良い影響を受けてもらえると、ブログ書いてて張り合いがあります。また冥利に尽きるというものです。いや〜、こちらこそありがとうございます。

 最初の話に戻りますが、最近、よくメールを頂きます。そんな中、私の21日間の滝行を興味深く見守っていたという女性からメールを頂きました。私の文章にも共感して頂いており、実はこのページもリンクしていただけました。福岡市内でセラピーのお仕事をされているこの方です(勝手に出しちゃいましたが、いいですよね(^^;、宣伝、宣伝!)。素晴らしいページです。開いた瞬間やさしい波動が伝わってきて気分が癒されます。私の黒地の不気味なブログと偉い違いです。でも私の黒地は「宇宙」なので、変えるつもりはありませんが(笑)。カラーセラピーとか、レイキとか本格的に活動されており、プロフを見てもすごい方のようです。日記をはじめ、文章もとても面白いです。

 実は私、こういう世界って憧れがあったんです。ブログを読んでくれている方からは、どうも私という人間は「精神世界に精通している」と思われ、知らずにリンクされている紹介文などを見ると、完全に「精神世界」の人間のように書かれています。それはそれでいいのですが、実際の私は手でカレーは食うわ、会社の中を裸足で歩きまわるは、地べたにでも平気で寝転ぶは、おまけに下ネタ大好きな人間です。

 なので、「せらぴ〜」のような上品な世界はどうも敷居が高い気がしているのです。セラピーの人たちやそこに来るお客さんって、「天使のような上品な女性」ばかりのイメージがあるのです。そのことをアルバイトのK君に言うと、「ボクは何度か行ったことありますけど、レイキをやってもらっていたりすると、本当に天使の羽衣が見えるんですよ。」、とまたまた面白いを言います。

 前に、あるセラピーの人たちが企画するディジュリドゥのコンサートの時も、会場に入って名前を言うと、「お待ちしておりました」、ととても落ち着きのある安らいだ声で迎えてくれるのです。私などはコンビニやホカ弁で「いらっしゃいませ〜、レジお願いしま〜す」という声しか聞いたことがないのに、「お待ちしておりました」ですよ。でもコンビニで「お待ちしておりました」って言うと楽しいでしょうね。売上あがるかな??

 まあ、そんなことでプロのセラピストの方と接点を持つのはとても初めてのことで、とても緊張しますが、とても光栄に思う次第です。ちなみにこんな紹介文を頂きました。


滝行を21日間朝5時に起きてひとり行う話がスゴイです。管理者の前向きな考え方にはげまされる、この中ではちょっと異色のHP。タイトルが宇宙との調和を感じさせてくれて個人的にお気に入りです。別サイト「かたみち切符」にいろいろ読み物もあります。


 確かに異色なんですよね(笑)。うわ〜、でもこういう方々にも読んで頂けるのかも。そう思うととてもワクワクします。あまり下品な文章は控えないといけないですよね(でも、すぐに品位を落してしまうのが私の短所であり長所でもあります)。。。

 というわけで、前半は「冥利に尽きる」と言う話だったのに、後半は「セラピーへの憧れ」という話になってしまいました。ともあれ、ルチアさん、ありがとうございました。私の方も本家でリンクさせていただきますね。
  1. 2005/03/17(木) 16:05:25|
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朗らかな日 2005.3.16

 今日はすっかり春の陽気でしたね。花粉が飛んでなければ最高なんですが。今日はデスクワークだったのですが、事務所には人が少なく、とってものんびりした一日でした。

 昼は天神の水鏡天満宮横の店で焼鯖定食(800円)を食べ、ついでに神社に手を合わせてきました。一緒に飯を食ったアルバイトのK君が、神社の木に手を当てて、「気持ちのいい波動を感じる」とか言うので私も手を当てました。確かに気持ちのいいものです。春のエネルギーを感じます。しかし、傍から見ると怪しい光景でしょうね。

 昼からの仕事は先日の激務はどこへ行ったやら、かなりまったりモードで仕事をしていました。事務所に残っていたのは、私とK君と事務の女性とアルバイトの女性の4人です。とっても楽しいメンバーです。ちょっと私のデスクをのぞいて見ましょう。
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 私のデスクは事務所の一番奥まったところにあります。紙類が机の上に積み上げられ、めっちゃ汚い机です。「そわかの法則」がまったく実行できていません(反省)。時間を見つけて片付けまする。ポイントは手前のティッシュです。実はこれは「人の」です。花粉症なのでいつの間にか私の元に移動しています。パイプイスもポイントです。パイプイスの安定感が好きで、私はここの上にアグラを書いて仕事するスタイルと時々とります。左の方に何やら筒状の物が見えますね。
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 なぜかディジュリドゥです。仕事でイライラすると、時々屋上に持っていって吹きます。その時はたいていホーミーもします。般若心経も唱えます。残業で私一人になると時々吹きます。循環呼吸がまだマスターできません〜。
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 机の上に接近してみました。紙が散乱しています。左上に花粉症の薬があります。右の方にはなぜかカップが積み重ねられています。中央部に何やら変な物体が。。。実は携帯電話です。今時この形はないですよね。AUが初めてカラーになった奴で、5年前のスタイルです。まだ使っています。人はこれを見てすぐにつっこみたがります。おそらく、このブログを見ている知人の中には、「Qちゃん、まだ使ってるの!」と呆れている人もいることでしょう。こうなったら、完全に壊れるまで使いますよ!!
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 事務の方です。かってに撮りました。
[#IMAGE|b0002156_1411512.jpg|200503/17/56/|mid|425|319#]
 私の「手」です。なぜこんなのを撮ったかというと、実は仕事の合間に「レイキ(ハンドヒーリング)」をやって遊んでいたのです。アルバイトのK君はレイキを習っているそうです。私も興味はあるのですが、習ったことはありません。でも、ツレなんかは頭や腹が痛くなると、「ハンドパワーをやれ」と言うので、たまにやったりします。結構楽になるそうです。そのことを一年程前、知り合いのおばちゃんに言うと、「肩こりをハンドパワーで治せ」と言うので冗談半分で5分ほど手を当てました。その時は結構効いたようです。その半年後に会うと、「あの日以来肩こりなくなったのよ。針に行くほどこってたのにウソみたいに」と言われました。どこまで本当かわかりませんが、よかったです。

 面白半分にK君の肩に手を当てました。すると、「うわっ、びんびんきますよ!」、と。習っているだけあってよく分かるみたいです。調子に乗って、アルバイトの女性(Nさん)と事務の女性(Kさん)のにもやりました。Nさんの場合、私の左手にかなりストレスが伝わります。それを言うと、「左利きだからかな」、と。左利きの人はやはり右利き中心世界にストレスを感じているのでしょうか。Kさんにもしました。この方も左側にちょっとストレスを感じましたがNさんほどではありません。お2人とも、「熱くなる」といい、結構心地よく感じてもらえたようです。「絶対ハンドパワーだよ、それは。一家に一台欲しいね。」、と評価してもらえました。

 仕事が落ち着いたら、レイキの真似事で老人ホームボランティアでもしようかな。ちなみに滝行の仲間にはレイキの達人がおり、毎週、人を集めてはボランティアで手当てを行っています。医者に見離された人の癌を治したという伝説があります。仏様のようなお人です。その人のアシスタントでもできればいいな〜。

 上の私の手の写真からは、「波動」が伝わるでしょうか。手相とか見ないでいいですよ。

 今日のこの辺で。
  1. 2005/03/16(水) 16:04:54|
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